備後一宮 吉備津神社(いっきゅうさん)
国指定重要文化財、国指定史跡、県指定重要文化財、市指定重要文化財
806(大同元)年創建と伝えられる吉備津神社。
神社境内や隣接する櫻山城跡・鳶尾城跡は国の史跡に、水野勝成造営の吉備津神社本殿や木造狛犬は国の重要文化財に指定されています。
2048年には、本殿・拝殿・神楽殿などの主要建築物の造営400年を節目として、境内を国宝に指定されることを目指しています。
また、県道26号線をまたいで向かいにある吉備津神社の御手洗池である御池は、現在は埋め立てられ元々の3分の1近くに縮小していますが、それでも神社の御手洗池としては、最大規模を誇っており、その御池に掛かる総石造りの太鼓橋も、それとしては国内最長となっています。
室町期は3つの浮島があり、その一つの島には三重塔が建っているなど、想像するだけでも雅な風景が、今に残っていないのは残念ではありますが、現在の御池も、水面に朱色の社や樹木が映り込むなど素晴らしい景観を織りなしています。
本殿
1648年(慶安元年)初代福山藩主、水野勝成が旧規模に習い造営したものです。
桁行七間、梁間四間と屈指の規模の本殿は、備後・安芸地方によくある「余間造り」の平面を持つことを地方的特色とし、正面に角度の深い千鳥破風と規模の大きな軒唐破風を持った堂々とした江戸時代初期の建築でありながら、室町の風格と桃山彫刻を具備した優秀な蟇股(かえるまた)を備えています。
勾欄(こうらん)の擬宝珠(ぎぼし)の刻銘及び文書により慶安元年建立が分かるなど、時代考証の尺度としても価値があります。
また、本殿屋根に千木・鰹木がないのも大きな特徴となっており、正面回廊の上には、「虎睡山」という大きな山号(さんごう)が掛かるなど、神仏習合時代の面影を残しています。
2022年4月に、屋根、柱、亀腹をはじめとした大規模改修が完了し、綺麗に塗りなおされた本殿は、建設当初に近い状態を再現しています。
全国的には神社の本殿が単独で建っている例は少ないのですが、備後一宮 吉備津神社は、拝殿、幣殿などが連結されておらず、誰もが直接本殿前でお詣りすることができます。
拝殿は一段下に独立してあるものの、神事や祈祷なども本殿内で行われています。
吉備津神社が、一宮(いっきゅう)さんの愛称で地域の人々に親しまれる理由は、このような神社構造も影響しているのかもしれません。
拝殿
福山市の重要文化財に指定されている拝殿は、本殿造営時に共に造営されました。
この拝殿は本殿と独立して建てられていることが最大の特徴で、四方に腰板があるだけの壁が抜けている建造物で、開放的な造りになっています。
拝殿の屋根は銅板葺きの緑青となっていますが、銅板は檜皮葺きに被せてあるだけとなっており、銅板の下は今でも造営時から変わらない檜皮葺きの屋根が現存しています。
現在では、いけばな展などの展示場として活用されています。
上下の隋神門
吉備津神社は、同一参道上に(表参道)2つの隋神門があります。
このような隋神門の配置になっているのは、全国でもこの神社だけとなっています。
吉備津神社には、このような伝わる話が伝わっています。
神無月に出雲に神様が集まる際に幾度か出向くように幾度となく催促があったが、市立大祭のため吉備津彦は出雲に向わず、ついには出雲から使い来ることになったのだそうだ。
しかし、大祭の最中ということで使者を接待していたら居心地が良くなり、終には使者は随身として吉備津神社に居ついてしまったということらしいです。
そのため、同一参道上の上下に隋神門が置かれているとのこと。
また吉備国は出雲と同じように、11月は神無月はなく神有月となっています。
楽所
吉備津神社には楽所が現存しています。
現在では、楽所を備えている神社は全国でも少ない為、「楽所とは何?」と思われる人も多いと思います。
楽所とは、雅楽を演奏する場所となっており、楽所の中では炭を炊き空気を乾燥させて演奏していたとのことです。
通常楽所は2つあり、この吉備津神社でも南北2つの楽所があります。
ところで楽所が2つのは、なぜだか分かりますか?
実は両方の楽所で同時に演奏することはありませんでした。
それは楽所の一方は中国式の演奏を行い、もう一方は朝鮮式の演奏を行うものだったのです。
ですから、一方の演奏が終わると、もう一方が演奏すると言った具合に交互に演奏していたとのことです。
今では楽所は使われていませんが、地元の方々で結成されている雅楽部があり、公演なども行われています。
石垣
吉備津神社には、切り込み接ぎの石垣や玉垣など、石加工に匠の技が使われています。
宝珠、扇面、イチョウ、鳥、富士山、など様々な模様が埋め込まれていたり、ハツリで曲がりを出す石垣や玉垣があるなど、江戸時代の洒落たセンスで作られた技を見ることができます。
大公孫樹
境内の段原広場にあるイチョウの木です。
目通しの胴回りは6mを超え、樹齢800年とも言われており、所々に立派な乳下がりも見られ古木の風格を漂わせています。(日本老樹名木第415号)
境内都市としての吉備津神社
中世(鎌倉時代末期より室町時代)にかけて、この地は吉備津神社を中心に政治・経済・軍事・文化、そして宗教などの機能を集約した地として境内に町を取り込む形で発展しました。
今でも、その名残としてのあるのが吉備津神社の周辺にある荒神社をはじめとした祠です。
山陽地域では江戸時代まで、至るところに荒神、地神、水神などの小祠が点在していました。
約20軒から30軒に一つの割合で祀られていたと言われています。
それが江戸時代に行われた荒神統合などで、各地の祠は合祀され数が少なくなったのですが、この地区においては境内都市として吉備津神社境内に形成された町ということもあり、統合されなかったものと思われます。
今でも吉備津神社周りに、点在する小祠は境内都市として発展した証なのです。
基本情報
所在地 |
〒729-3104 広島県福山市新市町宮内400
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電話番号 | 0847-51-3395 |
営業時間 | |
料金 | |
アクセス | JR新市駅より1.5キロ |
駐車場 | あり |
備考 |