銅栄山光明寺
蛇円山につながる芦浦谷に鎮座する永享2年(1440)に開基された浄土真宗本願寺派の寺院です。
坂を上っていくと、緑豊かでな山里に佇む境内は、石垣の上に長い白壁が映え、存在感のある無量寿堂と鐘楼門が目に飛び込んできます。
近年周辺の寺社地を含め、花の寺としての取り組みを行っている最中で、春は桜、さつき,ボタンなど、秋はもみじが訪れた人の目を楽しませてくれます。
境内の池には見事な鯉が、ゆっくりと泳ぎ、のぞき込むと時間が止まったように感覚に陥ります。
また、鐘楼門向かいにある山の中腹には、昔の阿弥陀堂跡の広場があり、歩いて登れるよう整備してあります。
この辺りは、江戸時代中期まで、金山、銀山、銅山等の鉱脈があり、かなり繁栄していました。
現在でも光明寺の周辺の山には、多くの坑道跡はあります。
坑道自体も分かりにくいのですが、未整備で危険ですので、見つけても入らないようにしてください。
鐘楼門
光明寺の鐘楼門(現存建物)は、三間一戸 八脚門で1608年建立と歴史も古く、文化財指定はないものの広島県内でも屈指の鐘楼門となります。
2019年に解体修理が完了し、屋根瓦の吹き替えも行われています。
その際に、元々は茅葺の屋根であったことが確認されています。
装飾は、参詣者の憧憬を具現化するものとして、貫に拳木鼻が、欄間部分には鶴仙・亀仙・鯉仙の三仙人の浮き彫りがあります。
非常に繊細な造りで、一部に欠損があるものの、概ね良い状態で残っています。
また、この時代の建築物としては角柱の柱などは非常に珍しく、貴重なものとなっています。
本尊
西本願寺の『木仏之留』という書物に、慶長13年(1608年)「光明寺第四世祐善法師が、阿弥陀如来像の登録を本願寺に申請し、承認されたと」いう記述があります。
この阿弥陀如来像は、背中に『日輪光背』と『舟形光背』の両方を背負っており余り例がない作りとなっています。
年代は仏像の蓮座などの特徴から室町時代中期の作と考えられ、開基当初の1440年の頃からあったと思われます。
金の塗りや頭の群青も綺麗に残っており、素晴らしい状態で保存されております。
のどの部分には首輪のようにみえるしわがあります。これは『三道』と呼ばれ、仏さまが見・修・無学の三つの段階を経て、悟りに達したことを表しています。
梛(ナギ)の木
境内には、記録によれば鐘楼門建立と時を同じくして植えられた、樹齢400年を超える梛(ナギ)の木があります。
胴回りは目通りで2mほどの大木です。
幹の周りは古樹らしく、うろこ状に樹皮がめくれ落ちています。
梛(ナギ)の木は昔から、葉や実が夫婦円満や縁結びのお守りとしても使われています。
基本情報
所在地 |
〒729-3107 広島県福山市新市町常208
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電話番号 | 0847-51-8072 |
営業時間 | 本堂 御本尊前 ・開扉 午前6時 ・閉扉 午後6時 |
料金 | |
アクセス | |
駐車場 | あり |
備考 |