鳶尾城(鳶尾山城)

国指定史跡

吉備津神社裏山に当たる虎伏山が、この鳶尾城にあたります。
虎が睡をとるように伏せている形に似ているため、この名が付いたようです。
吉備津神社、櫻山城と共に一宮(桜山慈俊挙兵伝説地) として、国史跡に指定されています。

築城年代は定かではありませんが、元弘元年(1331年)櫻山慈俊が楠正成に呼応して挙兵した際に、有木小次郎俊信は桜山慈俊と共に、「櫻山城」並びに、この「鳶尾城」に籠り戦ったとの記録が残っています。


城跡に登るには北からなら輪蔵谷から登り正仁谷に降りるルート、南からなら、その逆を辿るルートが各郭を縦走することが出来るためお勧めです。

今回は、レポートのために久々の登城を試みました。
ルートは吉備津神社の末社「十麻里十二神社」裏から山肌を登り、輪蔵池につながる稜線にとりつき登城しました。
国指定史跡ではありますが、稜線に出るまでは急峻な斜面を進むことになります。
十分な整備されていないため、危険も伴いますので自己の責任で十分注意して登城してください。



しばらく登ると遺構のわかる城域に達します。
主郭から北へ4つの郭が連なる連郭式の縄張りとなっていますが、さらに北にも削平地らしき場所があります。

郭自体は小さなものが多く寂しいですが、堀切は大規模なのでアップダウンに体力を奪われます。
稜線から下を見ると吉備津神社側も広谷側も斜面は切岸で切り立っており、ここを登るとするとかなりに体力が必要になると思います。

幾つかの郭を過ぎると主郭に、たどり着きます。
四方を急峻な切岸で守られており、防備の高さがうかがえます。
主郭は他の郭と異なり、幅も7~8m長さは40m近く、広いスペースとなっています。
残念ながら、主郭の南東端岩盤上にあるとされる穿たれた幅25㎝、深さ50㎝程度の連絡用の旗を立てた「柱穴」は見つけることが叶いませんでした。



主郭を過ぎると下山に入ります。主郭の急峻な切岸を下るとすぐに花崗岩が露出した地形に代わってきます。
各郭の切岸は岩を削って作られており、石切り場として利用されていた記録もあります。
降るのに危険ですので十分注意してください。



岩場を超えるとあとは緩やかな稜線となります。
吉備津神社側に目をやると、竹林や木々の隙間から正仁荒神社が見え、最後の急傾斜を終えると、正仁谷の舗装道路まで出ることができます。
そこから、吉備津神社裏参道を通り吉備津神社まで戻れます。

基本情報

所在地
〒729-3104 広島県福山市新市町宮内1008
電話番号
営業時間
料金
アクセス 登城口 吉備津神社裏山より 広谷観音より
駐車場 吉備津神社、広谷観音に駐車
備考
ページの上へ戻る