素盞嗚(すさのお)神社

けんか神輿で有名な
通称「天王さん」と呼ばれ、素盞嗚命(すさのおのみこと)を祭神として祀り、平安時代中期から祇園祭(ぎおんまつり)が始まったと言われています。
主な例祭としては7月に行われる「みこし合せ」で有名な祇園祭と風土記逸文に由来する「茅の輪(ちのわ)くぐり」があります。

素盞嗚神社拝殿
素盞嗚神社拝殿


奈良時代のはじめに編纂された備後風土記に当社の名称、疫隈国社(注1)がでています。
仏教が伝来し、本地垂迹説(注2) 影響を受けて神社名が祇園社、天王社、江熊祇園牛頭天王社と呼ばれていました。明治時代に出された神仏分離令により、神社名に仏語を用いることが禁じられたため、現在の神社名である素盞嗚神社に改名されました。

(注1) この地は当時、江熊・疫隈と呼ばれていました。
(注2) 仏が本地であり、神は仏が迹(あと)をたれて、人々を救うために 現れた仮の姿であるとする考え




境内案内板
素盞嗚神社
『北海に坐します武塔神…南海に出でまししに日暮れぬ。その所に将来二人ありき、兄の蘇民将来、甚く貧しく弟の巨旦将来、富みて屋倉一百ありき…(備後風土記逸文)より』
この附近一帯を疫の隈という。
蘇民将来「茅の輪」伝承発祥の地として、文献上最古の記録を残すほか「疫の隈国社」として延喜式神明帳にみえる古い歴史をもっている。
境内案内板 武塔天神は祇園牛頭天王とも称されるほか建速須佐之男(古事記)(日本書紀では素盞嗚尊)と記された出雲神話の祖である。
明治初期までの神仏習合の一時期「早苗山天龍院天王寺祇園社」と呼ばれた事もあり、早苗の松の伝承を残した。
本社は備後三祇園の一社で七月の祇園祭りは備後地方の夏祭りとして有名であり祭り終了日の深夜、吉備津神社よりの「無言神事」が今も行われている。
建造物のうち道路側の楼門は相方城(天正年間・一五八〇年ごろ)の城門を移築しており当時の建築様式を知るに貴重である。
『茅の輪くぐり』(旧暦六月三十日、直径約二メートルの茅の輪をつくり無病息災・厄除けを願って茅の輪をくぐる行事をいう)
<本殿>…入母屋造・千鳥破風・桧皮葺
<拝殿>…入母屋造・向拝付唐破風
<西城門>…二重楼門
<鳥居>…明神鳥居
(境内に県天然記念物指定の大スギがあったが先年枯死する)





豊臣秀吉の出した山城禁止令によって廃城となった、相方城の城門二棟と櫓一棟が伝えられています。
櫓は1970年代に火災により消失しましたが、 城門二棟はいまでも現存しており、 当時の建築様式を知るうえで非常に貴重な文化財となっています。





祇園祭
祇園祭
通称けんか神輿として有名です。
戸手、新市、中須地区に別れ三体の神輿を出します。
祭りは、境内や神社付近に屋台が立ち並び、街中を神輿が練り歩きます。最終日には二基づつ神輿をぶつけ合う(けんか神輿)があり、境内は多くの参拝者と担ぎ手でごった返します。